末廣 光夫
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肩の張った挨拶文でなく、くだけた文で綴ってみました。♪青い芽をふく柳の下で〜♪この歌謡曲が流れていた頃は、東京は銀座の柳の下を米軍兵士が粋なジャンパーで闊歩していたものです。といったら「♪御堂筋の銀杏の木の下で〜♪という歌はなかったの?」。そんな時代よりも、もっと昔に<道頓堀行進曲>という流行り歌を、大阪のジャズメンが作曲したことを誇ってもいいのではないかと。 話をまた第2次大戦後の頃に戻しまして、アメリカ兵からガムやチョコレートの施しを受けるより嬉しかったことは、ジャズがおおっぴらに聴かれることだったと戦前からのファンがおっしやっていました。 そういう人たちが昔頭をとってジャズの愛好団体が誕生しました。東京は<ホット・クラブ・オブ・ジャパン>であり、大阪は<関西スイング愛好会>でしたが、これらのクラブ団体は、いずれも戦前戦後のジャズのSPレコードに解説を付けて聴かせていたものです これに飽き足らなくなったのか、1961年の秋、台風で荒れ狂う夜に私を呼ぴつけて、「今度われわれが結成するジャズ・クラブは<オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・クラブ>と申しまして、ニューオリンズ・ジャズをナマで聴いてもらおうと思っているんです」と、東京弁とも大阪弁ともつかないアクセントで啖呵をきって威張っていました。 聞けば阪神間出身の早稲田大学のOBたちです。もう、おわかりでしょうが<ニューオリンズ・ラスカルズ>のオリジナル・メンバーたちです。普段は聴かれないジャズを会員を募ってライブで聴かせようという、この試みは日本広しといえども大阪が最初であり、このパイオニア精神には脱帽平服した私めでした。 (2004年3月) |
河合 良一
創刊によせて
(1966年1月27日発行 O.D.J.C.会報「DIXIEILAND」創刊号より) イラスト提供 今高英一さん |
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