BOURBON STREET

Step 10    大阪老人「ジャズシテイ・オーサカ・2005」へ行く

奥野 博史(ODJC会員)

 10月2目開催された「ジャズシテイ・オーサカ」に行きました。この催しは大阪・難波で廃校となった元・精華小学校校舎を地域活性化運動の拠点にして「精華校園跡地活性化協議会」という組織がいろんな活動を展開する中"JazzCityOsaka"と名付け主としてTRAD.JAZZを競演するもので今年は六回目となります。  現在、世間の認知度が低いオールド・ジャズが少しでも知られる絶好の機会でもあり、ODJCも初回から協力しています、というよりほとんどのバンドが0DJCファミリーということになりますが。  心斎橘筋が道頓堀に架かる戒橋を越えると戎橘筋(橋筋・ハッスジと俗称)となり、この付近一帯は道頓堀、千目前、難波と続く大阪有数の歓楽街地域です。会場の旧校舎は難波、高島屋百貨店の前という申し分のない立地、そして昭和4年に建てられた旧校舎はその時代に盛んであったオールド・ジャズを楽しむには格好の舞台と言えるでしょう。  近頃、「道頓堀ジャズ」と書かれたものをよく目にします、これは昭和初期ジャズ演奏活動をしていた服部良一氏が名付たものです。当時、大正末から昭和初期、関東大震災の余波を受けて一時的に大阪が全国一の大都会となりジャズも大変流行したことはいろんな資料に熱狂ぶりが伺えます。ですがレコードで国内に入ったものは分かりますが実際にどんな曲が演奏されたのかを知ることは難しい、今回の演奏でも「セントルイス・ブルース」は確実に当時演奏されたと言えますがそれ以外ははっきりいたしません。  敷地北側の校舎一階旧体育館が第一会場でフルバンドが入れ替わり立ち替わり熱演いたします。当員主催者挨拶に続いてトップを飾ったのは「サウスサイド・ジャズバンド」。ご存じ関西唯一のプロのデキシースタイルバンドです、でも何かとスタイルを変える所はさすがプロ。今回はごくオーソドックスな演奏とお見受けしました。  続く第2弾は、はるばる東京からご来演「トラデショナル・ジャズメン」、これは初参 加というより関西初見参でなんと平均年令65才(びっくりしないで、ラスカルズも同じ位だ)学生仲間同士で結成10年だそうです。前日に聴く機会がありましたが戦前の映画音楽からニューオリンズ・ジャズなど幅広く楽しめるバンドスタイルは私のような老人にはまことにうれしいです。  「トラディショナル・ジャズメン」の皆様、遠路ご来演ありがとうございました。  続いて「マホガニーホール・ストンパーズ」「ロイヤルフラッシュ・ジャズバンド」と賑やかに続きます、と言いたいがこれは見てきたようなウソ。じつはサウスサイドジャズバンドが終わる直前に会場を飛び出し第二会場に行きました。  第一会場から運動場を間に挟んで設けられた第二会場は小ぶりで百数十ほどの席、最前列はトロンボーンで突っつかれそうだがここはジャズの醍醐味が味わえるスペースだ。  小編成でメンバーは各バンドから持ち寄りの寄り合い所帯。しかし初顔合わせのメンバーでも息の合った演奏をエンジョイできるのだ。第一会場がバンドカラーを掲げた正式な演奏の場とすればここはプレイヤーが好むまま自由に演奏できる場。その昔シカゴなど米国の大都会で夜の演奏を終えたジャズメンは三々五々彼等の巣のようなバーに集い、心ゆくまで演奏バトルを繰り広げ楽しんだそうだ。  ことの実際は全く知らないがここはそれに通じるスピリットみたいなものがあるようでまことに楽しめる。本音を言えぱここでずっと聴きたーい。  でもまた第一会場へ行きました。演奏するのは「ニューオリンズ・ラスカルズ」で場内は満員、「満員御礼」の垂れ幕ぶら下げてもええんちゃうやろか。まあ何とか座っていつもの「ラスカルズ」聴きました。とうとう最後の「JAZZ CITY OSAKA SPECIAL UNIT」が演奏する"St.Louis Blues Boogie Woogie"なんかで盛り上がり、お決まりの"The Saints."で終演となりました。  午後1時から5時過ぎまで出演の皆様ご苦労さまでした、そしてTRADITIONAL JAZZの場を設けて下さった関係の方々にお礼を申し上げます。  尚、当目会場に若者の姿が少ないように感じました、これは残念です。この場所でこれでは、とちょっと淋しい思いがしました。  ところでプログラムに広告載ってる「スイング豚まん」とはなんぞや? 未だに気になります。

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